かなしい確認

金曜から「指揮者」「指導者」「演奏者」の3つの顔をこなす3日間でした。今月は、Y形率が高い。土曜の夜はおなじみMスティーでシングルモルトを。特製の自家製胚芽パンとともに、右隅に腕だけ見えるマスターと話をしながら。

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それに加えてこの日は、本当に久しぶりに、私の学生時代からの数少ない友人の一人S藤と、ゆっくり話が出来ました。昔の思い出から、現在のお互いの仕事の事、今の生活と廻りの環境。これからの仕事の展望。同級生なので「半世紀」を過ぎたオジさん二人が、夜中の2時過ぎまで語り合いながら酒を呑むのは、なかなかない事です。でも、すぐに30年前と同じ気持ちに戻る事もできます。10年前にとても辛い出来事(私にとっても非常にショックな)が、彼の身に降り掛かったのですが、どちらかというと避けて通っていたその話題にも踏み込んで話す事が出来ました。たまにこういう時間は重要です。

それにしても「友人」とは良いものです。私の父が1年前に脳梗塞に倒れ、非常に重い障害を背負って予後を闘っているのですが、この1年、ものも食べず、口も利けずに自分の意志すら表明出来ない状態で、最近は表情もなくなって来て心配していました。しかし、金曜日に高校の同級生が病院に訪ねて来てくれたら、それまでから考えられないような反応を示し、表情も戻り、自ら何かを訴えかけるように一生懸命喋ろうとしたという家族からのメールを読んだばかりだったので、なにかそういうことも頭をかすめつつの、彼との時間でした。

最後の仕事はY形響金管アンサンブルで、Y形市の水道局のイベントで演奏。今日のタイトルはこの話です。先週のKやきのお手伝いの際にも演奏中に眼鏡(老眼!!)が必要だったのですが、そこは、会場(文翔館:古い県議会の議場)の照明の設備が、いわゆる演奏会場用に作られたものではなく、演奏者にとってのコンディションは決して良いものではないので、仕方がないという言い訳が出来ていたのです。

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今日の会場(実は昨日の練習場も)の照明は問題ないのに、やはり眼鏡が必要でした。「目は人間のマナコなり」(←奥目の八ちゃん!知らんか・・・)とは良く言ったものです。目からの情報が演奏に影響します。楽譜を見て「様々な情報」をきちんと把握が出来ないと、前向きに攻める演奏が出来ません。楽譜の情報が安心感をもたらす事もあるのかもしれません。このせいで、演奏中に張る「アンテナ」のような感覚も鈍る事に気付きました。良い演奏をするためには「眼鏡をかける事が必要」な年齢になってしまった訳ですね。私は子供の頃からずっと目が良く、眼鏡をかけ慣れないことも手伝って、ずっと「意地」になって「老眼鏡」(←しかし、この名称は何とかならんのか!)を掛けないようにしていました。しかし、演奏に影響する事を自分自身で確認した以上は、眼鏡をかけないで演奏する事は仕事に対する姿勢を問われかねない問題です。もう少し良い眼鏡を買わなくっちゃ!

数年経って思い返してみれば、何であんな事に意地になっていたのか・・・などと思うような事なのかも知れません。四十にして不惑・・・どころかそれを10年も過ぎて、まだこんな事に拘ったり、新しい事に気付いたり。

なってみて初めて解る事だらけだから、人生は面白いですね。不惑?始終ワクワクなGジューのオッサンの「かなしい確認」でした。

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