309

今日3/9は父の命日。2年前のことなので仏教的な言い方をするなら三回忌か。その日の19:00頃まではなんの問題もなく、妹とともに病院で付き添い、面会時間が終了したので病室を出た、妹と別れて、私はそのままMず家でいつも通りに呑みはじめた。いやいや、いつも通りでない事が一つだけ。携帯電話をコートのポケットに入れっぱなしにしてカウンターに座ってた。そのせいで病院や家族からの連絡にも気づかずに23:00過ぎに店を出るまで、何も知らずに過ごしていた。おかげで病院に着いたのは日が替ってAM1:00近く。私が遅かったせい(なにせ主治医が私の友人でもある弟子だったので)もあり、書類上の命日は3/10。2年間の闘病を経てやっと家に連れて帰る事が出来、自宅の布団に寝かせて翌日が例の東日本大震災!なんだかバタバタしたなあ…この日に阿久悠S藤が日本に帰って来て電話をくれたのだが、当然ながら彼は私の方の事情も知らず、地震の時は空の上だから、全く話が噛み合なかった…S藤は、今日からのY形響定演で、彼のオーケストラ奏者人生を卒業し、人生の転機を迎える。良い演奏で終えて欲しいと心から願うばかり…

…なので、昨日もMず家のカウンターに座ってた(←なんでや!?)2年前との違いはMず家の奥さんが引退してお店にいない事くらい。オヤジは毎年この季節になると花粉でヒドい事になるのだが、昨日は特別に重症。見ていて気の毒になるくらい。カウンターの常連3名は、オヤジに気遣って料理の発注が少ない(笑)

しかし、今年の花粉は本当にヒドいのかも。私は例年花粉症という形で症状が出た事はない(子供の頃からアレルギー性鼻炎などに悩まされているのだから、出ない方が不思議ではあるのですけどね)のですが、今年はくしゃみと目のかゆみが… 花粉症デビュー?嫌だなあ。中国からのPMなんたらのせいもあるのかもしれない。公害やら環境汚染やらは、昭和40年代の日本と同じ事かもしれないとは思うけど、やっぱり彼らのメンタリティーのせいというかなんというか、彼らは迷惑な隣人だと思う。前車の轍があったはずなのに。こうなる事は容易に想像出来るのに、敢えて平気でやる人達。自分の利益の追求のためには他人なんてどうでも良い。だから平気で新幹線を埋めちゃえるんだよなあ。悪い事に偏西風のせいで西から東に動く空気に乗って、狭い日本海を越えて悪い物は何でも飛んでくる。ある種の爆弾攻撃。昭和40年代の川崎や四日市の煙は海を越えてアメリカまでは届いてなかったんだろうと思う。それともハワイくらいは行ってたのか?当時は、観測技術も低かっただろうし。そういえば、上海万博の頃に日中文化親善なんたらで「蝶々夫人」の公演に行った友人A本が、その時泊まったホテル(新築のかなりハイクラスのもの)で「○×君の部屋の水は何色?」「ウチの部屋は緑。そちらは?」「ウチは紫だよ」という話をしていた事を思い出す。気持ちが悪くてシャワーどころか歯も磨けなかったという。こういうメンタリティーで「開発」とか「発展」とか言われてもなあ…

という、まことにとりとめのない今日の私です(苦笑)

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