阪神淡路大震災から18年。合掌
あの日の朝の事は鮮明に覚えている。アメリカの911の夜のニュースも同じ… これまでもこのブログに何度も書いて来たが、私はO阪出身なので、関西には親戚・友人・知合いが多数いる。皆が一様に人生観が変わったと言い、目前で死を感じることの大きさを想ったが、自身の身を以て感じる事はなかった。震災直後のPAPEPO-TVでのT瓶&K岡龍太郎の生のトークも忘れられない。一昨年の311東日本大震災の時は、それこそ身を以て人間の小ささと自然の偉大さ=強大さ・怖さを感じた。思いのほか(…というより、やっぱり…か)関西の人達は我々ほどには感じていない。どちらもお互い様。人間っていうのはそういうもの。喉元過ぎれば…も正しいし、忘れる事は人が生きていく術でもある。でもね…
今年もまた想う事は、この事実を後世に伝えることを学ぼう、ということ。我々日本人は、あっさりした気質が良いところでもあるのだけれど、起きた事実(というより「恨み」的な感覚)を後世に残す事を良しとしないため、歴史を伝える事が下手過ぎる。これは外交上にも問題が多いと感じている。
東日本大震災の余震&関連の地殻変動・活動もまだまだ安心出来ないみたい。多数の犠牲を無駄にしないためにも、起こった事実をきちんと後世に伝えたいものだと、改め考えた一日でした。