むかし噺 貝島克彦メモリアル 5

○スイスブラスコングレス

1976年6月にスイスのモントルーで、第1回国際ブラスコングレスが開催された。これはそれまで別々に活動を行っていた、Trp, Hrn, Trb, Tubaの各世界協会が友好協力を目的に合同でのコングレスを行ったものである。その時の招待ソリストはまさにスーパースター達が名前を連ねている。7日間の会期中Tubaで講演をおこなったのは(たったの!)8人、フレッチャー、ジェイコブス、エンゲルスなどの有名人、と、ならんで、ただ一人貝島師の名前が・・。Tubaではもちろん、全金管の中でさえたった一人の「コングレスに招待された」東洋人だったのである。

その頃はもちろん世界テューバ協会の日本支部長(1980年まで)だった貝島氏だが、支部長らしい活動はあまり(というかほとんど)行わず、そのブラスコングレスの話も学生には言わないため、わが師匠ながら、そんなにスゴイ人だとは知らなかった、という弟子も多い筈である。

そもそもこういった「自慢話」をまったくしない人で、今回このプログラムを準備するために色々な人にインタビューせねばならず、大変な苦労をさせられ た(←でも、大変楽しい時間だった)のである。つくづくこの手の話は弟子としては生きている内に掴んでおきたかった!と思うものであるが、しかし、こういう人柄こそ「我らが師匠」という感が強いのは、決して筆者だけのものではないはずである。(先生がもう少し年を取られた頃、思い出話として聞きに行こうと計画していた筆者であるが、それも、もう叶わないものになってしまった…)

この文章中のたくさんあるであろう間違いや失礼な表現については、年月の経過した昔のこととしてお許しいただき、この他にもたくさんあるであろう、たくさんの「エピソード」や、先生の「録音」その他の資料をご存知の方は、是非その詳細をお教え下さい。

また、文中のインタビューにご協力下さった皆さまに厚くお礼を申し上げます。

注1)佐藤倉平

1900~1987没、元新響・元N響Tuba奏者、後に日本フィルのインスペクター。貝島氏が在学中の 武蔵野音大Tuba講師及び日本テューバ協会会長。JETA名誉会長。日本テューバ界の草分け的存在。世界テューバ協会(I.T.E.A.)永世名誉会員。

注2)ABC 交響楽団

昭和26年に近衛秀麿の主宰でできたオーケストラ「近衛管弦楽団」。昭和31年にABC交響楽団と改称。昭和35年ころにはメンバー表には元芸大Tuba教授の大石清氏の名前が見られる。

「むかし噺 貝島克彦メモリアル 5」への5件のフィードバック

  1. 貝島先生の門下ではございませんが、拝見させて頂きました。
    とても貴重で興味深いお話で、貝島先生はどんな人でいらっしゃったのか、色んな事を知れて良かったです!
    私は現在洗足の1年のチューバ専攻であり、貝島先生の御遺品、Cherzerを所有しております。この楽器はとても鳴りが良く、ソロ演奏でとても重宝しております。こんなにも素晴らしい楽器に巡り会えた事に貝島先生にも、このページを作成された門下の方々に感謝してもしきれません……!本当にありがとうございます!!
    もし何かご質問等あれば、ぜひTwitterの(@kah_tubistas)DMにて、お知らせ下さい。

  2. はじめまして。貝島先生の門下ではございませんが、拝見させて頂きました。
    とても貴重で興味深いお話で貝島先生の過去とか色々知れて良かったです!
    私は現在、洗足の1年チューバ専攻であり、貝島先生の御遺品、Cherzerを所有しております。この楽器はとても鳴りが良く、ソロ演奏でとても重宝しております。このような素晴らしい楽器に巡り会えた事に貝島先生にも、このページを作成された門下の方々に感謝してもしきれません……!ありがとうございます!!
    もしご質問等あれば、ぜひTwitterの(@kah_tubistas)DMにて、お知らせ下さい。

  3. はじめまして。貝島先生の門下ではございませんが、拝見させて頂きました。
    とても貴重で興味深いお話で貝島先生の過去等色々知れて良かったです!
    私は現在、洗足の1年チューバ専攻であり、貝島先生の御遺品、Cherzerを所有しております。この楽器はとても鳴りが良く、ソロ演奏でとても重宝しております。このような素晴らしい楽器に巡り会えた事に貝島先生にも、このページを作成された門下の方々に感謝してもしきれません……!ありがとうございます!!
    もしご質問等ございましたら、ぜひTwitterの(@kah_tubistas)DMにて、お知らせ下さい。

  4. 長谷川夏帆 さま
    ブログへのコメントありがとうございます。貝島師のCherzer C-Tubaを使っておられるのですね。どのような経緯であなたの元に行ったのはわかりませんが、大事に使ってあげてください。我々門下生にとっても、とても懐かしい大事な楽器です。洗足の学生さんということなので、これから音楽の道を進まれるのでしょう。私は長くフリーのTuba奏者としてあちこちのオーケストラなどで演奏してきましたが、還暦も過ぎ、Tubaの演奏よりは、指揮や指導、編曲などの分野で音楽活動を続けています。どこかであなたの演奏に出会える日を楽しみにしています。ぜひ頑張って良い音楽家になってください。

  5. はじめまして。
    遅いコメントにて失礼しますが、大変興味深く読ませていただきました。
    私は故・大石先生に師事していましたが、当時のバンドジャーナルで、ブラスコングレスでの貝島先生の事が書かれていて、そこで貝島先生の事を知りました。
    今でこそ誰もが普通に使うF管(…と言うにはちょっと憚りますが…)、貝島先生が言わば始祖だった事も知られていますが、貝島先生のご活躍がなかったら、今日のテューバ界のレベルはなかったと思うと感慨深いものがあります。
    初めて日本に入ったC管も、貝島先生がもたらしたものだったのですか。
    当時と比べて吹きやすいモデルが選り取り見取りになったのは隔世の感がありますが、やっぱりF管は難しいと思います。
    貝島先生の音を聴いてみたいです。録音が残っていると良いですね。

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