昔噺その2(寄せ集めオケ)

1980年代~バブル絶頂期頃の日本の音楽界には、我々が「寄せ集め」と呼ぶオーケストラが多数存在した。常設のオーケストラではなく、演奏会などイベントやオペラ・バレエ公演、放送・録音などで、その仕事限りに編成される特化されたオーケストラで、当時、東京にそれを専門にする2~3の事務所が存在して仕切っていた。大抵は、どこかのオーケストラの休日を狙ってメンバーを決め、不足しているパートを補充すると言う形で奏者を集めていた。私は当時、東京にあるそのすべての事務所に、1番または2番目のTuba奏者として登録されており、かなりの量の仕事があった。ある時などは、2本録りのテレビA日「D名のない音楽会」で、約2か月の間、オーケストラは2週ずつ(計4つ)変わるのに、Tubaはずっと私…なんてこともあったね。当時「題Mのない~」に常連のT響、Cティーフィルに「寄せ集め」の「Fスティバル」と「Mモリアル」が絡んで録画した結果だったように記憶する。

今日は弦は新N本フィルが基本で、木管はT響、ホルンはY響か…みたいな感じで、それぞれのメンバーとその仕事を共有でき、楽しく演奏ができる仕事場だった。常設オーケストラよりは費用がかからず(STAR WARSの録音をLSOが演ったような感じ?)、下手をするとそれより良い音がする!?(←内緒!)だったりして面白かった。

今日の思い出話はそういう中での1シーン。とある大きな私立高校(S徳女子)主催の公演で、H松町のY便貯金ホールで、曲目は、モルダウ、ボレロ、ラフマニノフピアノコンチェルト2番、新世界という豪華なラインナップ。Tubaの降り番はなし!(珍しい!でもメインは新世界…音譜が14個しかない…笑)

リハ会場に行ってみると、弦の編成も大きく、各楽器のメンバーも名人揃いで豪華絢爛、今日は良い音がしそうだから、楽しい仕事になりそうだと思いながらウォーミングアップをしていた。

さて練習開始時間になっても指揮者がこない。(この業界ってものすごく時間に厳しいんです。)どうなってるの?そういえば今日って棒は誰?ってメンバーがざわつき始め、20分ほど遅れて指揮者登場!(20分遅れなんて普通なら絶対あり得ない!)これがその高校の音楽の先生(後で知ったら、母校の大先輩だった)どうしても一度オーケストラが指揮したいと、無茶を承知で、この公演は自分が振ると言い出したらしい…これこそ無茶振り!

こうしてリハが始まった。これがドイヒー!

ほぼテンポの変わらないモルダウの4拍子と2拍子が振れない(正確にいえば、6/8・2/4・4/4・6/8だけど…)、ピアノコンチェルトなんてどーにもならず、ソリストの息と間なんてどこに行ったらわかるの?どころか、ピアノとオケと指揮者の棒のビートが全部違う。(温厚な私が珍しく怒って、コンサートマスターに立って代りに振ってくれって言った。ピアノに近い弦は聴いて合わせられても、遠くの管打楽器はズレズレだったので…)今日は楽しい仕事になりそうなんて誰が言ったんだ!!怒

さてさて、この話のオチはボレロ。この曲だけは始まっちゃったら、みんなスネアドラムだけ聴いて演奏すればなんとかなるって思ってた。タイコのF島さんにみんなから「頼んだよ!信頼してるから」って声がかかる。(ちゃうねんで!ほんまは。ボレロのスネアほど緊張するソロはないって言われてるほど重要かつ難しい曲。もちろん他の楽器のソロもね。Tubaだけは管楽器なのにソロがないから蚊帳の外だけど…)

スネアのソロ担当であるNフィルのF島さん。関西人で大阪弁。大学の先輩でCティフィル時代から割と仲良し。私のすぐ後ろで彼のソロからボレロが始まった。

曲は順調に進んで最初のFlのメロディが終わった頃に「あの〜。すんませ~ん!」とF島さんののんびりした関西イントネーションの声が指揮者に飛んだ。

「あのー…振らんといてもらえませんか?あなたの動きが目に入ると、邪魔になって3拍子が叩かれへん…」

あははは!指揮者に振るなって…

大爆笑・拍手喝采でした。

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