○チューバリサイタル
前記の「日本最初のチューバリサイタル」(1965年12月5東京文化会館小ホール)は大評判であったらしい。様々なオーケストラの金管楽器や低弦楽器奏者達が来場し、Tubaだけでリサイタルをやる事への期待と関心が高まった。その中で貝島氏は、R.Strauss:Horn Concerto No.1、R.Vaughan=Williams:Tuba Concertoを演奏。「当時、Tubaだけでリサイタルが出来るなんて思ってもみなかった。しかもTubaが協奏曲を一部引用でなく、きっちり全曲soloで演奏出来るなんて誰も考えられなかった。そしてその初めてを学生たちで演るということは、ものすごいセンセーショナルな出来事であった!!」。当時を振り返って思い出して下さった皆さんの共通の意見である。ご自身もその演奏会にゲスト出演された宮川氏は「本当にTubaの世界に新風を吹き込む出来事だったんだよ。当時の様々なオーケストラプレーヤーが聴きに来てくれ、大変な評価を受けた演奏会だったんだ!。Tubaと言う楽器に対する皆の見方が変わった一瞬だった!」と語っておられた。
学生時代から貝島氏の選曲はTubaオリジナルに限らず(もっともオリジナルが殆ど手に入らなかった事も理由に挙げられるであろうが)、ホルンやチェロなど他の楽器の曲を貪欲に取り入れた意欲的な物であったようだ。そしてそれは、弟子達に対する試験曲などの選曲にも顕著に現れていたような気がする。前出の伊藤氏は「ホンッットに!よくホルンの曲をさらってるんだよ!、しかもホルンよりハイトーンが楽そうに聞こえるんだ…(←この部分やや語気に怒)。やめてくれ!って言ったことが一度ならずあるよ」と笑いながら話されていた。
しかし、こういったセンスは、いったいどこから来たものなのか、「アルペジオーネソナタをチューバで」と願われた佐藤倉平先生の影響か、はたまた自身のセンスであったのか…?。今となっては聞く術もない。しかしアメリカに行く前から、チェロのカザルスの愛奏する民謡:鳥の歌を取り上げていたらしい話もあり、当時としては「スゴイ」事だったであろうことは想像に難くない。
現在確認が取れなかったのであるが、この頃か、後述のアメリカ帰国直後に「シャーロットの贈り物」というアニメ映画の日本語吹き替え版の劇伴の録音や、「V.Ewald:Brass Quintet#1」(←師匠のお得意の曲で、良く一緒に演ったよ、と伊藤氏)録音、等の仕事があったらしい。これらは、もし残っておれば確実に「当時の師匠の音」を聴けるものであるし、Ewaldは他のパートの共演者(伊藤氏「オレはその仕事はやってない」残念!)についても、大変興味深い。どなたかこの辺りの情報はご存知無いだろうか?