Y形県の吹奏楽コンクールの地区予選が終わったようです。
私の関係する主な学校のバンドはどこも良い結果で次に進めたようです。よかったね! 私の編曲を採用してくれたT童市の学校も県大会進出です。(Delibes Coppelia 3actより:編曲に興味のある方は連絡を頂ければ、対応します。)
麻生音楽祭でのAおばコーラスの講評も高評価を得る事が出来、メンバーの皆さんも喜んでいました。(そういえば、Aおばコーラスで演奏したWest Side Story の I feel pretty / Tonight Quintet の女声合唱versionも興味を持たれた方はご連絡下さい。講評でも編曲が面白い、と言って貰いました。ま、当然やけどね(笑)宣伝!せんでん!!)
私の仕事である「音楽」は(美術や書道・料理など芸術と呼ばれるカテゴリーの物は全てですけど)、プロとアマチュアに厳然と区別はあるものの、その求める最高峰、究極の目的とするものは、プロもアマもありません。同じものを求めていきます。
プロは、仕事として=ギャラを貰っているかどうか、これを生業としているかどうかという事であり、それなりに厳しさはありますが、アマチュアはその域に達する事が出来ないかと言えば決してそんな事はないと考えます。
少なくとも私は、アマチュアにも求めるものは同じです。でも、もし、要求に応えられなくても厳しく追及はしません。アマチュアなんだから、ね! しかし、出来る能力のあるアマチュアには出来るギリギリまでは引き出そうと考えます。(私たちにどこまで要求しているの?・・・って訊かれた事も数多くありますが。逆に出来ないと判断して要求を緩めると「甘いのでは」とも言われる。この辺りがアマチュアの皆さんとのつきあい方の難しい所ですけれど)
プロとの一番の違いは、仕上がりまでに時間がかかること。その間、毎回同じことを要求する事が必要で、いらち(←関西弁で「せっかち」的な意味合い)の私は、繰り返しに耐えられない。いつも「これは前にも言いましたけど」って言い訳しながら喋りますが、考えてみれば、それを覚えているのならば言う必要はないのかも。いやいや、解っていても出来ないだけという事もある。わかっちゃいるけど・・・このブログのタイトルや!
わたしは、やっと最近、この「繰り返しの時間が必要」という事に気付いた←遅い! だから、やっとしつこく要求出来るようになった。これまで自分の仕事仲間(つまりプロですね)とだけ・・という事は同じ価値観の中でだけ仕事をしてきた時には耐えられなかった事が、やっと最近こういう事を考えられるようになった。いままで私とお付き合いのあったアマチュアの皆さんはさぞやりにくく、また、わかりにくいヤツだった事でしょう。反省!
考えてみれば、我々だって繰り返して練りあげたものの方が、良いものが出来上がるという事はあります。でも初めてのものでも、それなりの仕上がりにならなければ仕事にはなりません。また、毎回少しずつ違う、様々な要素に敏感にアンテナを張り、すぐに対応出来るという緊張感が好き・・という私の好みの傾向もあります。でもこの好みは(プロでも)誰にでも当てはまるものではないし、アマチュアに要求するのは酷というものですよね。
指揮という形の音楽活動を始めて、相手がプロだけでなくアマチュアの皆さんとも触れあう事により、自分の世界が少し拡がったような気がしています。
ふと思いつきましたが、師匠は私の事をどう見ていたのだろう。卒業したての未熟な自分を、先輩プレーヤーはどう見てくれていたのでしょう。(ひどい演奏をしていただろうなあ・・・赤面)同じように自分と同じ価値観を押し付ける事はせずに、弟子を育てる為に、自分の考えや好みとは別の事を考える時間というのが、弟子に対している時にあるような気がします。もちろん私も。
未だに、古い徒弟関係が残っている数少ない分野である音楽界は、こういう形で人間同士の信頼関係が構築され、互いに高めあっていけるのでしょう。←これは自分の未熟だった事に対する言い訳かい!