あ”ーー

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ほんっとにもう!・・・。どうなってんの? こっちの身体(精神)に悪い。

近所のNう協で、閉店時間が近づいた頃、買い物客がたくさん並んでいるのに、閉店時間に合わせてレジの〆作業をするため、一つを残して全てのレジを閉めてしまう。たった一つ開いているレジに客を長蛇の列で並ばせた挙げ句、閉店時間までに客をさばききれないと見るや、今度はさっき追い出したレジを再開してまた並び直させる。またそういう隙につけ込んでうまく立ち回って列の順番を無視して少しでも前に並ぶ客たち・・・。あ”ー!もう。買い物をかごを放り出して帰ってきた。二度と行かないお店に追加(←追加って・・。でも私の中で「二度と」・・の指定店は多いんです)

なんやねんこれは。

Y形駅のH田牧場売店のオネエちゃん。「こちらの商品とこちらの商品は一度にレジに通せませんので、お会計は別々でよろしいでしょうか?」・・って、それはそっちの都合でしょ?勝手に別枠で通して合計額を言えば済む事なんじゃない。客に店の都合を押し付けるなよ。私が「よろしくない」って言ったら変えてくれるの?「じゃあ要らない」って言いました。ここも指定店に追加です。

レジのシステムは誰のため?お店の為です。お店は誰の為にやってるの?(まあ、最終的には自分が儲ける為だろうけど、基本は)お客さんの為でしょ?

そこで働く人間が働きやすくする為のシステムであり、それは、お客も含めて便利に買い物が出来る=お店が効率的にうまく働く為のシステムであり機械でしょ?

なぜこういう事が当たり前にまかり通る世の中になったんだろうか?今や、文句を言って買い物をせずに帰る私は変わり者と見られる。「なに怒ってんの、あの人」・・ってなもんです。でも、私からすれば、買い物をしないのではなく欲しいものを諦めたのですよ。なぜ客が我慢を強いられなくてはならないの・・。

おかめ団子(江戸落語です)の冒頭で、団子屋の主が、店の小僧に言う小言。店がたまたま早仕舞いした後に飛び込んできた常連さんが「何とか売ってくれないか」と頼むのに、小僧は「もう店は閉めた。いつも一皿しか買わないんだから面倒、また明日来れば良い」とそっけなくあしらう。主人はそれを見て小僧を叱り飛ばして丁寧に遇する。(その後は・・とても複雑に話が展開していき面白いですよ!)あれこそが商売の基本だと思うんだけどなあ。

マニュアル通りにするために働いてるの?(これって日本人の特性かもしれない)機械に使われ、マニュアルに縛られ、時間に振り回される。本来は全て、人間が自らの利便性を求めて、自分達の手で創った(考え出した)ものなのに。

私は、ますます人嫌いになる。アホと話すのん嫌や!

でも、田舎の町に行くと決してそんな事はない。お店でもどこでも、キチンと人間同士の会話が出来る。若狭でもそうだった。(モチロン、結局は人に拠るんだけどさ!)そういえば、昨今、知らない人との会話が危険だからと、子供に「人と会った時に挨拶をするな」って教える。都会のこういう状況(「知らない人は危険」も「挨拶するな」も両方とも)が「病」の原点だろうなあ。

昨日6月8日は秋葉原の無差別殺傷事件(2008年)と大阪教育大付属池田小学校の児童殺傷事件(2001年)が起きた日でした。同じ日であった事はただの偶然だろうけど、どちらも人間の精神がおかしくなってきている象徴的な事件で、いろんな事が繋がっているように感じる。

自然界は「人間」を、種としてもう要らないと判断したのか?自らを増やそうとせずに自らを殺しあう。どんな動物でも、種や環境に問題が起きた時に「共食い」が起きるのですよ。暗くなるなあ。

私は無人島を買って独立。楽園生活を送るんだもんね!←しつこいなあ。種が増える事はないと思うけど。

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