むかし噺 貝島克彦メモリアル 1

昨年末から悩ましい状態だった我がMacのおかげで、古いデータを整理する必要に迫られ、この数ヶ月、時間があるとHDDのバックアップなどデータの整理整頓をしている。おかげで色々懐かしいデータに出会えた!その一つがこれ。

2003年3月1日に行われた、私の師匠、故貝島克彦氏のメモリアルコンサートの全てのデータ!もう15年も経つのか…

このコンサートには、武蔵野音大の卒業生はもちろん、日本中からTuba奏者や関係者がたくさん聴きに来てくれた。出演者(敬称略)も、多戸幾久三(N響:当時)、八尾健介(読響:当時)、亀山吉彦(名古屋フィル:当時)のほか、貝島門下であるフリーランスのプロ奏者などなど、武蔵野音大からは学生と共に佐藤潔(都響)、杉山 康人(新日本フィル:当時)などなど、豪華なメンバー(もちろん私も出演した)が集まって、貝島師の功績を改めて確認できた良い演奏会となった。

その公演の、主催事務局の仕事のほとんどを、私が中心になって行っていた。その中に、私が書いた、当日配布の印刷物に掲載した貝島師の若い頃のエピソード(かなり一生懸命たくさんの人にインタビューした)の原稿が出て来たので、ここにもう一度公開しようと思う。興味のある方はお読みください。

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『弟子達が知らない・・・頃の、貝島克彦とは?』その1

○学生時代

我らが師・貝島克彦は、昭和37年武蔵野音楽大学に入学した。幼少より楽器に親し み、バリトン(!)、トランペットを習得、地元福岡の飯塚では、天才少年の誉れ高 く?意気揚々トランペットを胸に、当時のN響奏者野崎季義先生の門を叩いた。実際、 最初の受験講習会はTrp専攻であったようだが、野崎氏にすぐに楽器管理室に連れてい かれ(…???)、金管楽器をずらりと並べて「端から全部吹きなさい」…。 いちばん良い音の出たTubaにいきなり変更、佐藤倉平氏(注1)の門下生となる。

きっかけはともあれ(しかしのどかな善い時代ですなぁ!、そういえば、師匠は卒業時のピアノの単位取得に関しても何かあるはずで筆者はその事実を聞き及んでいる。本当に善い時代であったとしか…)、武蔵野音大最初のTuba専攻(主科)生の誕生であった。一年先輩には春山和雄氏(前読響Trb)、同級生に有馬純生氏(京響trp)、伊藤泰世氏(都響Hr)、高藤重孝氏(元都響Trb・故人)、また、翌、一年後輩には、同じくTuba専攻生に、多戸幾久三氏(N響)、稲田達雄氏(Nurnberg歌劇場オーケストラ)と大変優秀な人材に恵まれていた「武蔵野の黄金期」の始動である。

もともと真面目な我らが師匠は、酒を呑めないという「ガクタイ」にとっては致命的な欠点をものともせず=なおかつそれを逆手にとり=練習につぐ練習!。「あいつはいつも学校に行ってたよ!」とは伊藤氏の言葉である(エ!?じゃあ皆さんは…?笑)。が、その 甲斐あってかABC 交響楽団(注2)などでの演奏活動が始まった。前出の伊藤氏によると、学年で最初に仕事を始め、楽器で稼いでいる姿が「大変羨しかった」そうで、オペラやバレエ、オーケストラの曲について「随分教えてもらったよ」との事。同級生の中沢義一氏(元Bas-Trb:東宝オーケストラ)も「あいつは大フィルなんかにもよく行っていたよなあ!、とにかく、F管で、きれいな音で吹いていたよ。当時のTubaのイメージでは全然無かったねえ。」と話されている。また、卒業後すぐABC 交響楽団に入団した春山氏は「確か一度、九州ビータ(演奏旅行)があって、貝島君の家に泊めてもらったことがあるはずだよ。」との思い出も。3年後輩の川村淳氏(東京Fetival Orch.主宰)によれば、当時の武蔵野のTubaは、後輩達のあこがれの的で「テレビをつけて日フィルなら貝島さん、N響なら多戸さんがエキストラ出演していて、郷里へ帰った際などは、両親や知りあいに自分の先輩達がテレビで活躍していることが誇らしかった」と話されている。

当時、同じアパートに住んでいた伊藤氏とは、100g¥90の豚肉を50g(!…という買い方は普通はしない)でキャベツ炒め生活を友にしていた由。(筆者が記憶している話によると、お金持ちの貝島炭坑=でも分家だよ、とはご本人の弁=の御曹司で、東京に出てくる時には、お父上から「何か困ったことがあったら、東京の親分さん方に話はついている!、心配要らん!」と言われて(!?)上京したとのこと。しかし、その割には、前述のキャベツ話や「稲田(前記Nurnberg歌劇場)は栃木の農家の出身だから、米だけはあるはずだと当たりをつけてよく遊びに行ったよ。」など師匠の空腹関係の話には事欠かない。筆者はよくレッスン終了時に、「おい、餡パン(または学食のカレー)と牛乳を買って来てくれ!」といわれたが、これは随分後の話で、空腹関係は一段落した頃の思い出である。)

→2に続く

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