今日6/21は私にとって毎年特別な日。思い出すたびに心が痛む。Y大は子供の頃(産まれた時に最初に会った他人も私だった筈)から交流も深く、半分自分の息子のように(彼は迷惑かもしれないけど)感じていただけに、ひときわ思い入れも深い。その彼が若くしてこの世からいなくなった。もう12年も経つのか…私は人が亡くなる事については、少し人とは違う意見を持っていて、悲しい事には違いないが、人の死亡率は100%なんだしある種仕方ない事と考えているので、涙を流すという事もあまりない。昨年自分の父を見送った時も、悲しい・寂しいより彼が病の苦痛から開放された事を喜んだ。しかし、Y大の時は別。もちろん、彼の家族が受けたショックと悲しみは、私のものとは比べ物にならないだろうけど、とにかく悲しくて声を出す事も出来なかった。しばらくの間呆然と生活していて、何が起きたのかを知らない人も、私が普通ではないことに気づいた程。なぜ彼と彼の家族の上にこんな事が降り掛かるのか…と神(←いるのなら)を怨んだ。
あんなに悲しいお葬式は後にも先にもない…と思っていたら、後に一つ来た。つい先日、同様に悲しいことが起き、今また少し落ち込んでる。
先週の土曜日にY形に行った折、突然舞い込んできた報せ。弟子のU治川からのもので、彼は高校生の頃から私の門下生として、演奏にも積極的に取り組んでくれるとても人柄の良い男。一昨年大学院を卒業して希望の職場に就いた。昨年春には、高校の頃から付合って来た彼女と結婚し(式に招待されていたのだが、震災後の交通事情の混乱で果たせなかった)今年に入って子供を授かったという知らせも届き、私もすごく喜んでいたのに…その新妻C尋ちゃんが出産に伴う病に倒れて、前日の金曜夜に亡くなったという報。子供は無事に産まれて元気な男の子だったというのがせめてもの救い。妊娠中毒症の一種で高血圧脳症から脳内出血を起こし(←ものすごいレアケースらしい)、出産直後からICUで頑張ったのだが治療の甲斐なく逝ってしまった。そんな状態でも彼女は初乳を息子に飲ませ母親として息子に愛情を与えて懸命に生きていたらしい。お悔やみに行って彼と話をして来たけど、どう声をかけてやれば良いのかもわからない…
哀しいだけでは収まらない。なぜ彼の身の上にこのような試練が降り掛かるのか。誰が決めとんねん!責任者出てこい!!神がいるのなら今すぐオレの前に出て来んかい。対決したるで…という、行き場のない怒りまでわき起こって来た。
逝ってしまった人の安らかな眠りと、残された家族の幸せを願って「祈る」しかないのだろうなあ。しかし、6月のY形はきついなあ…